こんにちは、身体障がい者のアッシャー木村です。私は視覚障がい(網膜色素変性症)と聴覚障がい(感音性難聴)の2つを合わせ持つアッシャー症候群と呼ばれる難病を抱えています。
しかも数万人に1人という選ばれし逸材です。進行性の病気のため、弱視+難聴の今だから出来ること、伝えることが出来ると信じています。
ここでは、身体障がい児として過ごしてきた幼少期の頃からさかのぼってお話致します。物心ついた時には既に補聴器と共に生活をしていたので、覚えている記憶の範囲でとなることをご了承ください。
第12語ン
「すたんどばいみー?それは気絶寸前のピンチ!!」
中学校では小学校に続いて陸上部に入りますが、その他に熱中していたことは
マンガ、ゲーム、アニメ、声優、小説、ラジオ、音楽でした。
サブカルチャーというより、所謂オタク系の文化に触れていきます。
その辺りの詳細については、
本ブログのテーマ「ネガティブ障がい者がポジティブになる!」と
逸脱してしまうので割愛しますが、何かに熱中するということは
その物事に追求して学び経験するきっかけになります。
当時はオタク系と言われるとあまり良い印象ではない時代でしたね。
「くだらない!」とやめさせないで!子どもの興味が将来を決めるかも…
様々な方面で偏りなくできるように、と思わずに、我が子の好きなこと、得意なことをもっと成長させるようにと考えてみませんか?子ども一人一人に個性がありますし、それによって向いていることも違います。得意なことと不得意なことがあっても当たり前なのです。
何かを好きになると、それに関連した様々なことが知識として身に付いていくものです。だから、子どもが何かに夢中になっていることは、それが大人の目にはくだらなく見えたとしても、決して止めてはいけません。「そんなことしている時間があるなら、少しは勉強したら!?」などと怒ってはいけないのです。
残念なことに、この知識が毎日の生活に直接役立つことは、あまりありません。だから親からすれば、「こんな無駄なことをしている時間があるなら…」と思ってしまうのです。でもここで、子どもの関心をさえぎって、親が求めることをさせようとしてはならないのです。
この頃の思い出と言えば、某アニメから生まれたユニットの
解散ライブが東京であるのですが、親に拒否されました。
どうしても行きたかった私は親の反対を押し切り、置手紙して
早朝から友達と青春18切符で数時間電車に揺られました。
途中下車したとある駅で次の電車まで1時間あることから、
暇だし次の駅まで歩こう!と提案しました。
見知らぬ土地であっても
線路沿いに行けば隣駅に着くだろうと
望んだ僕らの小さな冒険。
道中、線路沿いの道路から離れてしまうため、
とある映画のように線路上に進むことにしました。
時刻表を見て上りも下りも
電車が通らない時間帯だったので
安全であることは確認済みでした。
ちょっとしたカーブを通る最中だったでしょうか。
前に歩いてた友達がふと振り返った時に
「うわあぁ!!」
と慌てふためいた顔で線路上から横に飛び降りていったのです。
ただ事ではない何かが起こった?と思った矢先、警笛が鳴ったのです。
これは一刻を争う事態だと察しました。
私は後ろを見ないまま線路から
ダイレクトに横へ飛び降りました。
その直後、電車が通り過ぎました。
まさに間一髪の出来事。
しばらく友達と顔を見合わせて、
緊張が解けた瞬間に崩れ落ちそうになりました。
お互いに安堵の表情を浮かべました。
ゆるいカーブであったことから
気づくのが遅れたのです。
時刻表では電車が通らない時間のハズでしたが、
その正体は乗客のいない電車・・・
すなわち貨物列車が通ったことでした。
これらのことがあるので・・・
スタンドバイミーを意識して
線路の上を歩くのは止めましょう。
学んだ教訓。
Stand by me をやると
Stun bye me になってまうで!!
次回へつづく
【次回予告】アッシャー症候群(USH)に光を照らしておくれよ!
「USH!」「USH!」アッシャー症候群 TypeⅡのアッシャー木村がお送りする
拝敬!パイナップル先輩!!
今回の語りは、人生の中で危険と隣り合わせだった出来事でした。
幼少期編は一旦ここで終わりです。
次回からは青年期編(高校~大学辺りまで)スタートになります。
次回、第13語ン
「アイツが噂のファミコンボーイ!?」
青春時代をゲームに捧げてきたといっても過言ではない。
今でも無駄な時間と捉える人がいるかもしれない。
しかし、人生で大切なことはゲームで学んだ。
さぁ、心のパイナップルを脱ぎ捨てて、
憧れのゴールデンパイナップルになろうぜッ!
次回も逃さず絶対(ぜってぇ)見てくれよな!