こんにちは、身体障がい者のアッシャー木村です。私は視覚障がい(網膜色素変性症)と聴覚障がい(感音性難聴)の2つを合わせ持つアッシャー症候群と呼ばれる難病を抱えています。
しかも数万人に1人という選ばれし逸材です。進行性の病気のため、弱視+難聴の今だから出来ること、伝えることが出来ると信じています。
ここでは、身体障がい児として過ごしてきた幼少期の頃からさかのぼってお話致します。物心ついた時には既に補聴器と共に生活をしていたので、覚えている記憶の範囲でとなることをご了承ください。
第2語ン「ちょっと何言ってるかわからないです。」
小学校に入学するタイミングで補聴器を耳かけ型の補聴器(両耳)を使用します。そして小学校には「あおぞら教室」というクラスがありました。
・通級学級とは
小学校や中学校の通常の学級に籍をおいて、比較的軽度な障害を有する児童に対して、その障害にあった特別な指導を行うクラスです。
・特別支援学級とは
様々な障害がある児童が少人数で集めて授業や指導を行うクラス。通常の学級とは少し離れた場所にあり、校内行事は健常者と一緒に活動します。
・特別支援学校とは
養護学校や盲学校・ろう学校などの呼ばれ方もします。幼稚園から高校および専攻科までの教育を行い、また自立に向けての指導を行うための学校です。
ここで健常者と過ごす通級学級か?特別支援学級か?どちらに通うのか、親心としては通級学級に通わせて様子を見て、状況に応じて特別支援学級に変更する。という判断だったように思います。
私も
「みんなと同じが良い!」
と話した記憶があります。
こうして学校生活が始まりますが、結論から言いますと私は卒業まで通級学級で過ごすことになります。諸々ありましたが、プール授業では見学です。
両耳共に滲出性中耳炎という原因で耳に水が貯まることがあり、見学になりました。今調べてみると医師と相談の上でプールに入ることも可能なようです。
プールに限らず、お風呂や理容室でも頭を洗う際に耳に水が入らないように注意していました。
当時ブームだったファミコンにハマってその影響で視力が落ちてきたと思い、眼鏡デビューに至ります。そのため、座席は一番前か二番目の席でした。クラブは陸上と将棋、あとは放送委員に入りお昼の校内放送でナレーションもしました。
しかしながら校内放送を終えて教室へ戻るとちゃんと言葉を話せていなかったことが指摘されて気づきました。
まるで
アメトーーークの活舌悪い芸人
のように本人は言えているつもりでもきちんと発音出来ていなかったのです。
「ちょっと何言ってるかわからないです。」
次回へつづく
【次回予告】アッシャー症候群(USH)に光を照らしておくれよ!
「USH!」「USH!」アッシャー症候群 TypeⅡのアッシャー木村がお送りする
拝敬!パイナップル先輩!!
今回の語りは、小学校での生活編に突入ッ!運動神経は良いわけではないが体を動かすことは好きだったゾ。ちなみにオラ習い事は習字をやっていたゾ。習字のお陰で集中力が付いたと自負しているゾ。
次回、第3語ン
「他校で特訓だ!修行の成果で言霊を乗せろ!!」
パインアメを頬張って君もパイナップルワイワイワールドへログイン。目指せ!コトダマン。次も絶対(ぜってぇ)見てくれよな!